1978年。当時小学校3年生。
いやいやながらに通っていた「学習塾」で、人生が変わる出会いがあった。
それは、日本で初めて「パーソナルコンピューター」という名称で販売された日立製のコンピューター「ベーシックマスター」との出会い。CPU 750kHz, メモリー ROM 8kb / RAM 4KBという、今から考えればとんでもないコンピューターだ。
しかし、当時としては間違いなく「最先端」であった。この出会いで、プログラミング(当時はBASIC言語)を独学で学び、後にプログラマーを目指す事になる。
専門学校を卒業するまで、コンピューターにドップリで、BASIC言語を始め、マシーン語、FORTRAN, C言語、コボル言語等々、様々なプログラミング言語と向き合ってきた。
専門学校を卒業と同時に「映像」の世界へ飛び込み、その後、ダンサーとしての道を歩み、New Yorkに単身渡米、13年のNew York生活を終えて帰国。
45歳で役者としての道を歩み始めるという、紆余曲折な人生を送ってきている。
専門学校を卒業以降も、パソコンは生活の一部として関わりを持ち、1999年にデザイナーとして自身のブランドを立ち上げて以降、デザインやWEBデザイン、インターネットラジオ等々、様々な形でそれまでのコンピューターのスキルが生きている。
しかし、それはあくまでも、パッケージ化されたアプリケーションを活用する為にコンピューターを使っているに過ぎない。
元々プログラマーを目指していた視点から言うと「使っている」とは少し意味合いが異なるのだ。
しかし、ここに来て、開発環境を自身のMACに構築をする事になっている。
時代の進歩と共に、当然の事ながら,使用する言語の環境も大きく異なる。
現在「anaconda」という「データサイエンス向けプラットフォーム」を構築するためのオープンソースプログラムを触り、このプラットフォームが走っているPythonという「インタープリタ型の高水準汎用プログラミング言語」を触っている。
データサイエンスの世界では、かなり標準的なプラットフォームで、様々な研究用のツールやライブラリーが提供されており、機械学習(AI)や、大規模データ処理、予測分析などなど様々な研究・開発で活用されているプラットフォームなのである。
マックに標準でインストールされている「ターミナル」というアプリケーションを使い、anaconda始め、Python, Open CV等々、様々なモジュールのインストールやら設定やらを行っている。
この「ターミナル」は、アプリケーションではあるが、マウスでクリックしてどうのこうのではなく、全てキーボードから命令を打ち込んで動作をさせなければならない。
この感覚、30〜40年前、一生懸命にプログラミングをやっていた頃の感覚。
「動かなくて当然」「シンタックス・エラーが出てナンボ」の世界なのである。
まさに「原点回帰」状態。
とはいえ、決してプログラマーに戻ろうとしているわけではなく「映像」の為であり、また、映画製作の為である。
触り初めてまだ1週間ほど、頭をかきむしりながら、向き合ってます。
これが出来る様になると、色々と面白い事が出来そうな気がしている今日この頃である。
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